泡沫

賞味期限は短め

猫と鳩。

 

 

猫を轢きそうになった。

 

 

 

18時過ぎ、日が落ちてきたけどまだ明るくライトを点灯した自転車としていない自転車が混在する頃。私はライトを点灯させた自転車に乗っていた。
いつもの道を通る。すると塀の角から、猫が現れた。いや、塀の角に猫がいた。寝っ転がっていた。しっかりくつろいでいた。その方は驚いてこちらを向いて、

 

「危ねえな!気を付けろ!!」

 

とでも言いそうな、苛ついたような表情をしていた。いや、そう聞こえた気もする。

 

 

なので私も会釈して、

「すみません、失礼しました。」

と言いそうな、申し訳ないような表情をしていたと思う。

 

 

車も通るような道路の上で寝っ転がっていたのはそっちじゃない!!

 

なんだか無性に理不尽な目にあったように感じた。

 

 

いや、待てよ。

 

元々猫の方々がリラックスして寝転がる事ができたはずの環境を奪ったのは誰だ?
(その猫は飼い猫っぽい風貌だったけども・・・)

私たち人間ではないか。

 

歩く者が多ければそこは道となる。その道をコンクリートで固めた。
やわらかい土の上で安らぐ事を猫だけでなくあらゆる生き物から奪った。


あの猫様が苛立つのも当然である。
私は人間の一人として、申し訳なさを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

最近、鳩が私たちから逃げて避けるのではなく、こちらが鳩を避けるようになったと感じるのは私だけだろうか。

 

駅前に彼らはよくいる。あっちへこっちへ歩き回っている。以前は近くを通ると突然飛んで逃げる鳩たちに驚いていた。羽を散らしながらバサッッッと。

 

だが今ではどうだろう。

 

急ぎ歩く私の前を悠々と横切る鳩氏。
どうせ逃げていくだろうと気にせずギリギリまで距離を縮める。

 

全然逃げない。逃げる気配すらない。
ちょっと向こうも早歩きになるくらいである。

 

なんだこれは。

 

人間はどうせ襲ってこないだろうと油断しているのか。信頼しているのか。

 

いやそれとも。

 

人間どもはどうせ飛ぶことができない、襲われても空中にいればこちらのものだろう。

 

と、なめ切っているのか?

鳩の顔を思い浮かべる。

 

 ⦿ ⦿
  ∞
  ▲
  ▼

 

後者の通りに考えたような顔をしているな。

 

私は主にシャワーを浴びているときに様々な事を考える。このブログの内容を考えるのもシャワー中だ。

 

シャワーを浴びているとき浴室にいるとき、人はアウトプットのゾーンに入る。
思考がぐるぐる巡り止まらなくなる。戦国武将が策を練るとき、アーティストが作詞するとき、シェフが明日の気まぐれサラダを考えるとき、何かこの世に生み出される最初の現場は殆どが浴室だったのではないか。

 

昨日そんなアウトプットの城で私がぐるぐる頭の中で巡らせていたもの、それは鳩が人間をなめ切っているのではないかという考察と鳩のあのお顔だ。とにかくしばらく頭から離れなかった。

 

シャワーを浴びていて背後に気配を感じるとき、大抵それは天井にいるんだよと、誰かが脅かすために言っていたのを思い出した。昨日シャワーを浴びているとき、鳩の顔が頭から離れなくなった私は背後に気配を感じた。もしかしたらそれはやはり天井にいたのかもしれない。

 

 ⦿ ⦿  
  ∞
  ▲
  ▼

 

こんな顔で。

 

 

ついでにあの猫の顔も思い出した。