泡沫

賞味期限は短め

「走れメロス」を急に読みたくなった話。

 

メロスは激怒した。

 

 

この一文から始まる有名な小説を思い出した。
丁寧に頭の上で泡立てたシャンプーを、洗い流しているときである。
本当に突然の事だった。泡は綺麗さっぱり洗い流した。けれどもその強烈な一文が、頭からなかなか離れない。

 

なぜメロスは激怒したんだ?

 

と、ふと疑問に思ったからだと思う。

 

 

 

私は小さい頃から、あなたは理系だ数学が大好きだと、洗脳されてきた。それを言い訳に国語は苦手だできないものだと逃げてきた。国語の授業で取り扱う小説も、そのタイトルくらいしか覚えていない。なのでこの有名すぎる走れメロスという小説も、殆ど記憶には残っていなかった。

 

 

体を流し髪を乾かして部屋に戻る。

手に取ったのはちくま文庫の「太宰治全集」。

分かりにくいものが恋しくなって、10巻まとめて衝動買いしたものだ。

 

パラパラとめくって15ページのそれを見つけた。

さあメロス、どうしてお怒りなのですかい

心の中で呟いてから読み始めた。

 

 

 

 

ここで振り返ろう。

私が突然走れメロスを読みたくなった理由、

それは「なぜメロスは激怒したのか」、これを理解する為。

 

しかし読み終わった私の感想はこうである。

 

 

「ミスター不憫セリヌンティウス

 

 

 

 

確か中学生の頃、国語の授業で読んだときには男たちの熱い友情に感動していたはずである。というか感動しろという雰囲気が教室には漂っていた。

演劇を見たときにもメロスの熱い思いに心を打たれたし、邪知暴虐の王は心無い非道徳的なやつであるということでみんなで否定批判した。

 

しかしそれから大人になってもう一度読むと思ってしまう。

メロス、あなたが最も恐ろしいのではないか???

 

人の心を疑う事しかできず、残虐な行為を繰り返すミスター邪知暴虐には怒りを覚えるのは分かる。彼は人々の心を過度に恐れ、人々の命を奪ってきた。これには誰しもが恐れるはずである。

 

だが私は言いたい。

友人の命をスッ...と懸けてしまうあなたがいっちばん恐ろしいわ。

 

まあね、読書だけでなく何かを鑑賞して楽しむとき、その時の自分の倫理観を押し付けるのはあまり適切な姿勢ではないと言う。言うけれども。

 

ちょっと友にいたら怖いタイプでございます。メロス氏や。

 

このブログを書く前に、走れメロスの感想や考察を検索した。
箱の中に調べたい言葉を打ち込むとご一緒にどうぞとキーワードを勧められる。
一つ気になったものがある。

 

 

走れメロス 走ってない」

 

 

????????

なんか、疑い掛けられています。この小説が発表されて80年が経ちましたが、疑いかけられてます。
そして矛盾極まりない言葉というのは一周回ってとても引き付けられるものだ。

ふむふむ。

 

どうやらこれは中学生が数学の自由研究として発表して話題になったらしい。
平均時速にしてみれば時速3.9キロ。フルマラソンの男性平均時速9キロ。なんだかメロスまでも不憫に思えてしまった。彼もまさか約80年後に中学生から指摘されるとは思ってもいなかっただろう。

 

画面をスクロール。

 

「他の人はこちらも検索」

 

もうやめてあげて。これ以上彼を責めないであげて。もう解決した事じゃないか。

 

「やっぱり走ってたメロス」

「走れよメロス」

 

メロスが誰でも簡単に批判中傷できてしまうこの現代にいたら、

【あの件について話します。】

というタイトルの謝罪動画を出すのだろう。途中どうでも良くなってしまった事に関しても謝罪するのだろう。

 

メロス「山賊が思ったよりも厄介で...」
視聴者「そんなの言い訳にすぎない。友の命が懸かっているんだぞ!」

 

メロス「川が氾濫していて...」
視聴者「そんなの雨が降っていたのだから予測はできただろう、
    もう少し早く出発すべきだった!」

 

メロス「友を守れなかった罪を償えば...」
視聴者「勝手に命を懸けられた友は散々だ!」

 

うん、ある程度の炎上は予想できる。

メロス、激怒しても落ち着いて、まずはあらゆるリスクを可能な限り洗い出してから行動すべきだったのだよ。間に合ったのは結果論だ。

 

この小説、義務教育期間に学び男たちの熱い友情に一度感動する。大人になって再度読めばリスクマネジメントの教訓として受け取れる。

 

この場合もう少し期限を延ばせないか交渉したり、異常事態の定義、天候が荒れた場合などの対処法、評価方法を決めておくなどするべきだった。

 

次からは気を付けましょうメロス。

 

 

でもまあ、時間が無くても妹の元でぎりぎりまでダラダラしたり、途中で投げやりになったり、お互いに心を曇らせた事がない友人同士が疑い合ってしまったりと、そういう人間らしさが垣間見えるのも、この作品が長く親しまれる理由だと思う。とっくに通り過ぎてしまった私を最初の一文でもう一度読ませるよう引き戻したのも、作者の高度技術の一つだ。

 

本は何度読んでも面白い。

その時その時の自分の調子で言葉の色が変わる事もある。

作者の意図を読み取る努力はすべきであるが、本から何か学ばなければいけないという義務はないと思う。私はそのようにすると力が入りすぎてしまう気がするから。

 

次は何を読もうかな。

山椒魚」とか、どういう話だったっけな。